映画・舞台・テレビ等で活躍されているベテラン俳優長門裕之さん。昨年11月テレビの報道番組で奥様の南田洋子さんの介護を続ける長門さん、そしてお二人の実生活が紹介され大きな反響を呼びました。私たちバナナ園グループがインタビューをお願いしたところ長門さんは快く引き受けていただき、ご自宅にてお話を伺いました。
矢野:今回は私どものインタビューを引き受けていただき有難うございます。ところで、その後南田洋子さんのご様子はいかがですか?
長門:テレビで紹介されたとおりですが、現在は私と、元介護職員だったお手伝いさんを雇い、介護にあたっています。洋子は徐々に記憶障害が進む中「食べたい・眠たい・痛い・痒い・おしっこがしたい」等本質的な部分に集中をしているような気がします。洋子が「現在と過去を比較し、それを嘆く」時期は私も本当に辛かったのですが、これは過ぎようとしており、逆に介護に集中できるようになりました。先日も食事時に洋子が干物を手で持って食べようとし、思わず「いかん!」とノド元まででかかりましたが、とっさに干物を手に取り「こうして食べると旨いな」と。洋子の目線や行動に合わせた介護を心がけるようにしています。ただ、洋子は外出を嫌うところがあり、運動不足になり勝ちでないかが気になります、これは女優時代から、外出するとどうしても周りの目が気になる、そういう女優としての価値観や尊厳から来るものと思います。しかし古い洋画のビデオを見ていると、私の思い出せない役者の名前を言い当てたりすることもあるんです。それに例のドキュメンタリーの最後、私がマンションの部屋を出て行った後、勿論、私は知らなかったのですが、洋子がドアの前で「随分涼しくなったわね」とつぶやいた時の表情、まさにエンディングにふさわしいもの、まだまだ女優の熱い血が通っていると感じました。また、我が家で私は洋子の「たたき台」と呼ばれているのですが、洋子が喜怒哀楽を私を「たたいたり」「つねったり」して表現するのです、しかし、その時も力はセーブしてくれる、こんな時本当に洋子を愛おしく感じるのです。私たちは「オシドリ夫婦」と呼ばれていましたが、互いに俳優・女優として切磋琢磨してきた関係でもあります、しかし今、介護をしていて洋子が私を「頼りにしてくれる」「信じてくれる」「待っていてくれる」事を感じ、かつて無いほどの充足感と幸福な時間を過ごし、男としての責任感と誇りを感じています。
矢野:南田洋子さんも長門さんのお父様(俳優の沢村国太郎さん)の介護をされていました。
長門:脳軟化症の父を介護していました、亡くなる前の3年間はほぼ付きっ切りで、父は俳優、人間として大変プライドの高い人でしたから、プロの介護人でも「赤ちゃん言葉」を使ったり、そんな方は即「クビ!」にしたこともありました。そんな父のプライドや尊厳を大切にしながらの介護で、最後は洋子の言うことしか聞かなくなりましたし、お陰で「ウツ」にはなりませんでした、洋子の献身的な介護から私も多くのことを学びました。
矢野:ところでドキュメンタリー番組の反応はいかがでしたか、私たちは勿論、介護に携わる人たちに大きな勇気と感動を与えて下さいました。
長門:テレビの視聴率、その影響でインターネットの検索ランキングで「長門裕之」がトップになったり、また多くの方々から励ましのお手紙やメールを頂き、世間の「老々介護」「認知症」に対する関心を肌身で感じてます。日本では2050年に認知症の方が500万人になると言われてますが、その「研究」や「理解」に関し、他の医療分野に比較し、決して進んでいるとは思いません。
矢野:5年程前にアメリカの「介護」の状況を視察しましたが、故レーガン大統領がアルツハイマー病を公表したこともあり、認知症に対する理解や環境の整備は日本とは隔世の感があると感じました。
長門:そうですね、介護保険制度が導入されましたが、私もこの1月に「後期高齢者」の仲間入りをします、日本が高齢者にとって決して優しい国であるとは思いません。特に認知症に関しては「治療」とともに「予防」にも力を入れなくてはいけない、幸い私は「伝達力」は持っていると思います。これらの問題について、これからも積極的に社会にアピールしていきたいと思っています。これまで、私がメディアに取り上げられるのはどちらかと言うと「スキャンダル」が多かった(笑)、このドキュメンタリーで完全に「風」が変わったと感じています。キャッチフレーズが「オシドリ夫婦」から「老々介護」へ。仕事や行動を通して「介護」や「認知症」への理解を啓蒙していくこと、これはまさに天が私に与えてくれた「仕事」と考えていますし、このことは洋子も必ず賛成してくれるはずです。<敬称略/以下2月号に続く>
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長門さんとインタビュアー矢野達郎<小社理事>
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