矢野理事長の突撃インタビュー
★バルセロナ金メダリスト、「古賀塾」(高津区)塾長★
~古賀稔彦さんにお話を伺いました~
オリンピックや数々の大会を通じ、柔道で日本中に感動と勇気を与えてくれた古賀稔彦さん、ご存知の通り地元高津区の子母口で道場「古賀塾」、中原区では「整骨院古賀塾」を運営していらっしゃいます。今回はそんな「古賀塾」を訪ね、お話を伺いました。
矢野:今回は私どものインタビューを快くお引き受け頂き有難うございます、さて古賀先生、この川崎市のこの場所で道場を開くきっかけは?
古賀:選手時代の仲間や先輩がこの近辺に多かったこと、そして妻の実家(米屋)がこちらで、その倉庫跡に道場を建てたのです。夢は一生柔道の出来る環境にいたい、そして柔道着を着て畳の上で死にたいと思っています。そんな思いをこの地で実現させたのです、まさか他人の道場の畳の上で死ぬわけにはいきませんからね(笑)。
矢野:古賀先生といえば、オリンピックや数々の大会での活躍が思い出されますが、どのような精神を持って、厳しい稽古や怪我を乗り越え、目標を達成されてきたのでしょう?
古賀:小学校1年生の時、柔道を始める前は虚弱児童、但し人一倍の負けず嫌いでした。柔道を続け、何事にも挑戦を続けていくと、例え失敗を繰り返しても、いつか必ず成功や結果が出て、達成感を得られる事を知りました。失敗やうまく行かない時でもモチベーションを下げるのでなく、挑戦をし続ける方を選ぶようにしました。それでも、現役時代、そう大学1年の時です。右肘を痛め、得意の背負い投げが出来なくなり、柔道をあきらめようと考えた事があります。落ち込み自問自答を繰り返しました。そんな時フッと、それまでの自分とは別の「冷静な自分」が現れ「痛めているのは右肘だけ、他は元気じゃないか?できる事を考えようぜ!」と囁いたのです。その時「もう一人の自分を作っておく」という事を覚えました。それ以降「もう一人の自分」を常に用意し、出来るだけ客観的に「心・技・体」に分け「具体的に目標や課題」を抽出し一つ一つの目標をクリアしていくことにしています。
矢野:なるほど、「前向き」「プラス志向」に「客観的に」を加える事により更に一回り成長できると言うことですね。これは誰にとっても必要なことですね。
古賀:若く気力体力も充実している時は、「自分の力」を信じ、「自分のために」前進していくことが出来ますが、年齢とともに体力は落ちてくるものです。私も歳をとるに従って「応援してくださる皆さんや家族、周りの人々の声」をパワーやモチベーションに転化「皆のため」に頑張ろうという気持ちになれるようになりました、言うなればこれは、「感謝・恩返し」の気持ちです。スポーツに限らず、誰でも周りに応援してくれる人がいるはず、そういう方への「感謝・恩返し」の気持ちは、何をするにしても一つの「モチベーション」になると思います。
矢野:そうするとこの「古賀塾」の開塾も「感謝・恩返し」の気持ちから?
古賀:勿論です、現在の私の夢は育成を通して「それぞれの人の夢の後押し」することなんです、その為には、私も更に経験・実績・知識を広げていかねばなりませんし、「自分の心の器を大きく持つ」必要があります。生半可な気持ちでは取り組めません。「競技スポーツとしてメダルを目指す人」もいれば「生涯スポーツとして」「健康維持のため」「礼儀作法を学ぶため」とそれぞれの夢や目標があります。今はサポートした方の夢が叶った時、自分自身も本当に心から喜べるようになりました。現在この「古賀塾」には幼稚園児から一般まで約130人以上の塾生がいますが係わる全ての人がお互いに「心と心」を持って接することにより、一生お互いをサポートし合い、幅広い人間関係を作ってもらえれば良いと思っています、柔道を通じてそういう場所を提供することにより、地域に貢献が出来ると信じています。
矢野:古賀先生、今日は本当に有難うございました。
★古賀先生は、本当に気さくな方、インタビューや写真撮影時に塾の前を通る皆さんに「おはようございます!」と先生が声をかけると皆笑顔で「おはようございます!」と返ってくる、この塾が本当にこの街の「誇れる場所」であることが感じられました。話の中で小さな声ですが「ヨッシャ!」の掛け声の迫力は柔道に対する厳しさを感じさせると同時に、傍にいるだけで元気と勇気を与えてくれる「オーラ」が放たれているようでした。★
古賀先生5.jpg