今回は当社の高齢者施設グループホームで「狂言教室」の講師をお願いしている十世三宅藤九郎さんの母であり、狂言和泉流宗家宗家会理事長、ご存知「セッチー」こと和泉節子さんの登場です。
矢野:藤九郎さんには高齢者への「狂言教室」でお世話になっています。
節子さん:伝統文化である狂言には日本の古き昔からの「良きこと」「日本の心」が全て含まれています。「喜劇」ですからこれを観ていつまでも明るく笑って楽しく過ごすことが出来れば心豊かな老後請け合いです。私も世のお年を召した皆様と元気よく生きていくための「セッチー華の会」を催しています。狂言を知り、観て声を出して元気に滑舌よろしく話せば「アンチエイジング」や「記憶や頭の訓練」にもなるのです。
矢野:和泉流を支え守りながら、宗家<和泉元彌さん>、和泉淳子さん、十世三宅藤九郎さんと、三人のお子さんを一流の狂言師に育てました。
節子さん:室町時代からの国の預かりものである「狂言」を次の世で絶やしてはいけないですから、これは「義務」であり「使命」です。本当に子供達には可哀想なときもありましたが、親も涙を流しながら稽古を付けました。乳飲み子が一歳半になり、歩き始めた頃に正座から仕込まれるわけですから・・・。さらに、師匠と弟子の間には親子関係はありません、子供達は家庭でも常に敬語ですし、父親に甘えることもありませんでした。
矢野:ところで節子さんも長い間ご家族の介護をされてきたと伺っています。
私は「介護は家族でするもの」ということを実家で学んでまいりました、それこそ節子さん祖父母の代は入院という事も考えられませんでした。この家に嫁いでも同じです、お父様<先代の三宅藤九郎:人間国宝>はパーキンソン症候群<手や足に震えの症状が出る>の疑いが持たれながら84歳で入院されるまで、舞台に上がり続けました、どのような体調であってもその舞台を影で支えなければなりません。舞台人として身体のメインテナンスには人一倍注意を払う方でしたから、常に6箇所の病院にお通いになっておりました、この通院の手配とお供は私の大切なお仕事でした。普段のご様子を知っていても勿論「引退」などと口にすることなどできません。完璧な舞台を勤められないと自ら舞台を降り入院をされました、ここでもご機嫌良く病院にいて頂くために毎日のように通いました。お話の相手から頑固なお父様にリハビリを促すのも私の仕事、亡くなるまで6年間続けました。お父さまは妻に先立たれ5人の子供を男で一つ育て上げました。私も嫁でありながら、娘のように、晩年は妻のような気持ちで介護を致しましたが、本当に良かったと思っております。
矢野:お忙しい中、よく20年近くの介護を乗り切ることが出来ました。
節子さん:家に仕え、舅に仕え、子供に仕え、更に弟子の母親であり、妻であったワケです。自分のための時間といったら寝る前の僅か10分ほどです。「まず自分」と考える今の若い方には理解し難いかもしれませんが、どなたに仕えても良く考えれば私の大切な時間なのです、決して他人の為の時間ではないのです。愛する夫を生んでくれた親だからお世話をするのも当たり前です。昨今の「介護」のあり方を見ていると、一から十まで他人様に預けたり任せたりする傾向にあるように思います。病院や施設に預けても、折を見て連れ帰ったり、良くなれば戻っていただいたりと・・・それが「情愛」というものです。今後の高齢化社会を考えると、出来れば介護は家族でして欲しいと思います、これは育児と同じです。そのためにも政治や介護保険はもう少し家族が介護をし易くするための工夫をして頂きたいと思います。
矢野:さて、最後に節子さん、このパワーと元気を保つ秘訣は?
節子さん:自分の係わる全てを楽しむ事、仕事でも介護でも何でも・・・「嫌だ、嫌だ」と思ってやると必ず倍の重さになって返ってきます。拒むことなくそれこそ「ルンルン気分」で立ち向かうことです。まだまだやりたいことが沢山、最後まで元気でいて「歩きながら死ぬ!」って思っているのですよ(笑)。
和泉節子3.jpg
岐阜県大垣市生まれ。金城学院短大卒。狂言和泉流の十九世和泉元秀の妻。長男は二十世宗家和泉元彌、長女は初の女性狂言師和泉淳子、次女は十世三宅藤九郎を襲名した狂言一家の母。自らも狂言プロデューサーとして活躍中。